オキシトシン
なにやら周辺で春めいた話題がチラホラと。チラホラどころか春の嵐が吹き荒れていて、私の心は春雷で荒れ狂っております。
さて、某所でハグの話題が出たので、ハグについて。なぜハグを求めるかと言うお話ですが、ドーパミンの仕業だそうで。ドーパミンは気持ちいいとか心地よいとかそういう感情を沸き起こさせる脳内麻薬って奴ですな。で、ドーパミンは更にオキシトシンって物質の分泌を促すそうな。
オキシトシンってのはマイナーな脳内分泌物で、あまり知られてないかと思いますが、子どものいる人なら知ってるかな。親子の絆ホルモンとかいう呼び方されてる場合もある奴。
どうもハグにはこの親子の絆ホルモンを引っ張り出させる働きがあるとか。
で、そこで親和欲求ですな。ハグしたいって感情を親和欲求とは言いません。親和欲求とは、群生動物である人間の本能。群れにいないと本来人間ってのは生きていけないのです。なんで私のように一人ぐらしで3日くらい誰とも会話しないような生活してると、人間ってのは死ぬように出来てる。
群れの中にいないと死ぬ!群れの中にいたい!って感情が親和欲求。大雑把に説明するとこんな感じ。
被災地の避難所でプライバシーがないとかそういうのが問題になってるけど、ああいう非常事態にはプライバシーよりも群れを作ることの方が重要である、というのはその辺の脳の作用を研究してる人には常識なんだとか。ただ、プライバシーよりも優先することがあるとか言っちゃうとなんかややこしいことになりそうでみんな黙ってるんだってさ。めんどくさいねー。
で、オキシトシンに話を戻すと、オキシトシンってのは人格形成の時に大事だそうで。つまり親子の絆がないと子供はまともに育たないとか。具体的に言うとオキシトシンがない人は人見知りしたり対人恐怖症になったり。もっと言えば愛のない人になるとか。なんだ、愛なんてたんなる生理現象ではないか、と言えてしまうけど、生理現象だからこそ命題なわけです。
中野は非常に人見知りで、どんな人か知らない相手とはほぼ会話が出来ません。一方的に面白い事を言って会話をしないようにします。こんな状態の大人にもオキシトシンは有効で、しっかり毎日分泌されていれば人見知りも改善されるんだって。
ってさ。ハグとかさせてくれる相手がいたら初めからこんな風になってないって…。
オキシトシン分泌したい!!
筋肉少女帯が好き
筋肉少女帯と出会ったのはメジャー1枚目仏陀Lだった。そのときも好ましく思ったものだが、本当に抜け出せなくなったのはおそらく猫のテブクロ。あれの「これでいいのだ」と、遠足三部作がすごく好きになった。
猫テといえば日本印度化計画だけど、最初はそこまで来なかった。ただチェリオのCMで印度化が流れてて、そこからPVを見たらあの異様な空気でもう抜け出せぬ。
丸尾末広とか好きだったからこのアングラ感にヒット。今思えば現在の中野のエスニックファッションもここからなのか?
PVといえば2枚目アルバムのシスベリからのキノコパワーがヤバイ。よくあれで業界干されなかったなと思うけど、あの最初に出てくる司会っぽい人は今では演劇界の大御所だから世の中わからん。
そして4枚目、サーカス団パノラマ島へ帰る。もうこのアルバムの完成度が高すぎてたまらん。CDを聴くと言う行為が一冊の物語を読み進めるような感覚。あのCDだけは、シャッフル再生できなかった。
なんでビッキーホリデーとまた会えたらいいねはカラオケに入らないんだよ。おかしいだろ。詩人オウムは入ったのに。
で、5枚目の月光虫。これはサボテンとバントラインが有名だけど、プラネタリウム人間もいい。あと悲しきダメ人間が次の断罪への布石のように置かれていて、今思うとケンヂの戦略性と、多分戦略も何もなく心から出てきたままに置いたんだろうとわかる天才さが素晴らしい。
そして断罪。ジャケットがジョージ秋山ってのも個人的には萌えたポイント。で、どこへでも行ける切手は実は綾波レイに影響を与えた曲だから、オタクの歴史としても重要だよな。
踊るダメ人間も好きだが、断罪で一番すきなのは、猫のおなかはバラでいっぱい。もう、何時間も聞いてられる。
次は大車輪だけど、これはベストアルバムだからまあいいか。その次エリーゼだっけ。ちょっと熱が高まりすぎて体力が持たないので今日はこの辺にしておくよ。
このつぶやきは一部のともだちにのみ
ハイク2をやめました。ともだちを全員解除しました。
一部のともだちにのみ表示されています、という表示を見せられるのはあまりにもダメージが大きい。しかし、何らかの間違いがあって、中野が悪いと言う可能性があるので、もしそうだったら真実を知りたい。
「このつぶやきはともだちまで公開」
「このつぶやきは一部のともだちにのみ」
もともとほぼ全員に対して考えていることがある。
「この人には嫌われている気がする。ニコニコと仲良く話してくれてはいるけど、他のともだちの見える範囲でだけに違いない」
そしてなにかそれを証明できる、悪意の証拠が目の前に現れた場合、それが誤解である可能性を考えていい場合というのは、相手が完全にポジティブな人間で、ネガティブな人間が何を考えるか、毛筋ほども理解できていない場合だ。
同じようなネガティブな思想を理解できるはずの人間が、他人にそのような誤解を与えるような真似をするわけが無い。そこに対して誤解かもと思うのは、その人に対して「誤解を与えないような配慮を先回りで考えることもできない頭の回らぬ人だ」と考える失礼な行為だ。もしくは「ネガティブ思想の人間から見ても自分は誤解を与えても問題ないほど、軽んずべき存在であると見なされている」場合か。ネガティブ思想の人間であるなら、誤解を与えていいと思う相手は虫のような相手だと考えていよう。
私は、こういう問題が起こった場合、最低限相手は自分より頭が良くて当然であると考える。そうしないと失礼だ。自分の知能でも考えつく範囲のことだったら、相手には当然わかることだ。そう考えないと当然失礼だ。
なにか中野が見落としていることがあるのだろうか。中野は頭が悪く低学歴の、理知的に理路整然と物事を考えることができぬ者なので、見落としていることがある可能性は高い。頭の悪さから騒ぎ立てて周辺に迷惑をかけているだけ、という場合でも、やはりもう元の場に戻ることは許されない。当然だ。
悲しきダメ人間
自分の腕では筋肉少女帯の魅力を活かせないと痛感した。でもまた音楽のメモは作ろう。またカメラを多用して作りたい。
肉まんまんと中野が、ショートカットの女子高生と犬になる。ショートカットの女子高生はかっぴちゃんの描く女子高生にそっくりだけど、別にかっぴちゃんと言うわけではない。でもこうすることで、犬になったのは中野だなとわかってもらえただろうか。
ダメであることの悲しさを知り、それでもダメであることを受け入れて生きる、そんな覚悟の曲「踊るダメ人間」の序曲ともいえるこの曲。踊るダメ人間は「それでも生きていかざるを得ない」という言葉で締めくくられ、ここにこそ悲しさが満ちている。
踊るダメ人間と日本印度化計画と高木ブーが筋肉少女帯の有名曲だろう。ケンヂは印度とブーとぼよよんロックが筋少を有名にしてしまった曲で、同時にコミックバンドと誤解されるきっかけになった曲と語っている。BCB(ぼよよん・カレー・ブー)だ。
ぼよよんロックは確かにコミックソングと思われても仕方ない。おならで空を飛ぶとか言ってるし。カレーも仕方ない。でもブーは、彼女が去っていった無力感を高木ブーに重ねてるんだ。そして幸せだったころの思い出として、高木ブーを二人で見ていたことを思い返すのだ。まあコミックソングと思われても仕方ないけど。
元祖高木ブー伝説を作ったとき、筋少はドリフの事務所から怒られたらしい。そしてこの曲を販売する許可は絶対に出さないと言ったそうだ。
そのとき、助け舟を出したのは高木ブー本人だという。
「俺たちが若いころは馬鹿やってたのに、今若い奴が馬鹿やるのを怒るのはズルだ」
かっこいいぜ高木ブー。無力で役立たずとまで歌われたこの曲を。本当にかっこいいぜ。
まあ、もしまだ筋肉少女帯がコミックバンドだと思っている人がいるなら、いくらでも熱い曲があることを語らせてほしい。