ネット上での出し物のあり方雑感

 あまりネットに強くない知人が、ネット上でバラエティ番組的なものを配信したいと中野に相談してきた。劇団などをやっている人間だ。
 そこで中野は、ネットはプルメディアでありプッシュメディアのやり方を当てはめてもうまくいくわけがないと説明した。あと、拘束力が働かないことも。
 プルメディアとは、見たいと思った情報をユーザーが引っ張らないといけないメディアの意味。ユビキタスに情報が存在してそれらに任意でアクセスする。
 プッシュメディアとは、放送局側から押し付けるように見せることが可能なメディア。ユーザーにはチャンネルと言う選択肢はあるものの、自分で見たい情報を選ばなくとも情報が常に流される。
 この二つの差はかなり大きいとおもう。一番の違いは、ユーザーが受動的に情報を得るか能動的に情報を受けるか。youtubeだニコニコだとネット上のコンテンツが映像化していってテレビに近づいているように錯覚するが、ネットはテレビの真似をやっても駄目だし、テレビはネットの真似をやっても駄目だし。
 youtubeでもニコニコでも、アクセスを集めるものはプルメディアならではのものが多い。見ようと思い立った瞬間にアクセスして、30秒くらいでひと笑いして終わるもの。あるいはプッシュメディアの不便さで見逃してしまった番組のワンシーンなどか。
 あと、ネットラジオや作業用音楽のような、別窓で流しっぱなしにしつつ別作業ができる、情報を得るのに気負いしないもの。
 バラエティ番組というのは、プッシュメディアによる試行錯誤の結果の完成品で、これをプルメディアでやるのは厳しすぎる。やるなら各コーナーなどをそれぞれ別ファイルに存在させるのがいいだろう、ということを話し合った。
 
 このことはうごメモにも当てはまると思う。何らかの予備知識が必要なメモも面白いし好きだけど、じわりじわりと情報が増えるにしたがって、新規参入できない世界になる。それはつまらないしそれは怖い。
 中野はそういうものも作るが、はじめて見た人が何も考えずに見ても作品の全容がわかるものを作りたい。一瞬で浪費できるものを作りたい。無駄遣いされるものを垂れ流し、その瞬間だけの刹那的な楽しさになって、心に何も残さないものを産んでいたい。
 泣けるもの、考えさせるもの、かっこいいもの、ためになるもの、そんなのも作りたいけど、それだけになっちゃ駄目だ。そんな後天的な感情を握るようなものだけでなく、脳の真中のほうのワニの部分を触れに行くような、その程度のものがいい。
 エンターテイメントと芸術は、経済性に対して垂直になっているぐらいで丁度いい。
 自分の作るものはまだそこで徹底できていない。そこを徹底すればプロなんだが、どうせアマだし作品とはこうあるべきという思想から外れたものもポコンポコンとこぼしててもいい。お金が関わる時にはじめて、思想と求められるものとの天秤に向き合えば良いのだ。
 
 面白さとは千差万別で、やりたいようにやるのが一番。だけど、その「やりたいように」の「やりたい」部分が自分にはなんなのか、そこはしっかりと意識していないと、面白さの軸が折れる。自戒のために、このことは忘れないようにしないと。
 
 真面目なことは簡単に。簡単なことは深く。深いことは面白く。面白いことは真面目に。そして作るときは難しく見せるときには簡単に。
 
 それがキモだわ。ここまでくるとネット上での、って言わずに全てにおいてのキモだな。