うごメモの先に何がある

 私はDDRというゲームの公式全国大会で優勝したことがある。その結果得たものは、日本中の友人だ。このあいだの滋賀の友人のお通夜に行ったときも、現地の違う友人の家に泊まり、そこに私が来ていると言う事で何人もの人間がやってきて、朝までみんなで亡くなった友人の思い出話に興じたり、そこから話が脱線したりと、非常に盛り上がった。もう10年も経つゲームだが、今でもこの調子だ。

 大阪に住んでいた十代の頃は、無印バーチャロンや無印サムライスピリッツなどで関西で名をはせたこともある。アレから15年ほど経つが今でも大阪に帰ると当時の連中が中野を迎えてくれ、当時入り浸っていたゲーセンの店長は中野のため懐かしいゲームを用意していてくれる。

 たかがゲームと言う人もいるだろうが、おそらく中野はそのたかがゲームで生まれた人間のつながりを一生失うことはないだろう。
 
 さて翻って、うごメモを続けて何が得られるか。今は確かにうごメモを作ることの楽しさは大きい。でも、上のような人と人の繋がりは生まれないような気がしている。
 うごメモは作品を経て人を見るから?それなら対戦ゲームだって対戦を通じての会話だし、DDRの時は私はパフォーマンスを作品として見せていた。間にインターネットが挟まっているからだろうか。しかしネットゲームの人たちもそこをきっかけとして深く付き合っていく人などもいる。私もブログで知り合っていまだに付き合いがある友人が何人もいる。
 
 このままでいいんだろうか。若い人たちにとっては危険もあろうが、それ以上に人と人の繋がりを広げることの価値は大きい。というか危険を回避するのではなく、危険のさばき方を身につけて初めて安全だろう。危険だから隔離しましょう、ではお話にならん。
 人生においてたとえば1年間うごメモを楽しんだとして、ああ楽しかったということ以上の何かは得られるのか。それが得られなくても十分に楽しいのだが、他の特に若い人たちには何かを得て欲しい。何かを得させてあげたい。
 
 得られないことの残念さはそれほど大きくないが、与えられないことの残念さがある。もう死に行く年寄りの心からの思いだ。